« 2011年8月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年7月

イジメ 其の3

この内容も書いてるだけで かなり憂鬱になります。

其の2の続編ですが グループNO2の人は私を弟のように

可愛がってくれた人です しかし その人にも真実はいえませんでした

しかし、ある日 私が強要された万引きを彼が発見する事になり

私は その人から リーダーの家に連れて行かれ

そこで リーダーと彼が私に「誰から頼まれた」と言われ

私は泣きだしてしまい NO2の優しい彼は

「俺たちが付いているから心配するな 以前の怪我の事も

そして今までにあった事を話せ」

私は嗚咽しながら 張本人の名前を出しました

リーダーはすぐに その本人を家に呼んできました

その僅かな時間が私にとっては 恐怖の一言でした

そして 彼が家に来るなり リーダーのとった行動は

何も言わず 彼に往復ビンタ そして柔道をしていたリーダーは

何度も 背負い投げを・・・・・・私の恐怖は更にヒートアップして

大声で泣き出してしまいました

NO2の彼は私の手をずっと握ってくれていました

すべてを察したのか イジメの張本人は「すみません」と何度も繰り返すが

リーダーのいつも優しい姿からは想像も出来ないくらい

怖い姿を目の当たりにしました。

「一番小さい子を いじめるのは 弱い者イジメじゃないか

オレはそげんか奴が 一番好かん」

大声で怒鳴り続けました。

もう すべてが終わったと思いました

そして リーダー とNO2は私を連れて 私の家に行き

すべての事を 私の親に話しました

正義感の強いリーダーとNO2は私の親に謝りましたが

私は何故?という感じでした

それから 親父は私を連れて イジメの張本人の家に行くことになるが

それが また辛くて 泣き虫だった私は泣きながら

次に起こる恐怖の場面を 子供ながらに想像してました

 にほんブログ村 サッカーブログ 少年サッカーへ
にほんブログ村ランキングに参加してます皆さんの1クリックが私の励みになりますよろしくお願いします

いじめ 其の2

何故 自分がその人にイジメを受けているのか

幼い私は理解できませんでした。

また イジメから逃れる手段も方法も考えられず

誰かに相談する 勇気も持ち合わせもありませんでした。

大怪我をした後は 暫らくその子からのイジメは止まったが

再び また同じような事が繰り返される日々が続きました

内容は凄く なまなましいので控えさせてもらいます

その頃の私の家は 商売をしていて 親は朝早くから

夜も遅くまで働いて とても子供にかまっている時間もありませんでした

勿論 昭和30年代後半の頃ですので

何処の家庭もそうでした

何故 どうして そして いつまで・・・。

彼らさえいなければ・・・ 誰か気付いて・・・

いつも同じ小屋でやられていた私は その小屋さえなければ

なんて考えたりしてました。

小学3年生の私にとっては イジメの相手の小学6年は

それは 凄く大人に見えていました

そのグループのNO2(小学6年)の存在が私のイジメから

開放される人となっていくのでした。

 にほんブログ村 サッカーブログ 少年サッカーへ
にほんブログ村ランキングに参加してます皆さんの1クリックが私の励みになりますよろしくお願いします

 

イジメ その一

今 大きな問題として 「いじめ」という事が

またしても テレビニュースで流れています

私も 少年の頃は、ひどいイジメにあってました。

私達の幼い頃は、同学年というより 同じ部落の子供達

下は小学低学年から上は中学生という感じで

集団で遊んでいました。

私の場合は 私が一番下で 上は中学2年生ぐらいだったかな

10名ほどの集団で一番上がすべての遊びを統括して

後の者は それに従ってました

ボスは硬派で面倒見がよく 一番下の私を可愛がってくれてました

しかし、それが気に食わないのか 中堅の位置に属する者二人が

暴力を人のいない小屋で そして万引きを強要したり

それを拒否すると またしても 殴るける

そして 鼻血を出したり 足にアザが出来たり

「親に言ったら これでは済まさんぞ」なんて脅迫されたり

そんな 少年時代が2 3年続きました

私は 親にも言えず 母親に「この家を引っ越したい」と言ったことを

今でも覚えています。

そして イジメがエスカレートして大怪我を負い 死と直面しました

それでも この事実を言ったら 更にひどいめに遭うと思い

親父が「誰がやったんだ~」と私に問いただすが

私は恐怖のあまり 「自分で怪我をした」と震えていた事を忘れません

次回は その2を書き込みます。

サッカーの話しじゃありませんが 必ず読んでください

 

 にほんブログ村 サッカーブログ 少年サッカーへ
にほんブログ村ランキングに参加してます皆さんの1クリックが私の励みになりますよろしくお願いします

悲惨な光景と車のラッキーナンバー

サッカーとは関係ないが

現在 九州北部は豪雨状態です

田んぼとクリークの区別も判らない所も随所にあります

120713_133320

会社の2階の事務所から見たら手前の田んぼは 湖状態です

ザーザー という感じを超えている。

今夜がヤマです

話は変わりますが 自分のラッキーナンバーの算出方法を教えてもらいました

因みに 妻が新車購入でディーラーさんから「好きな番号を登録出来ます」

との事ですが 当の本人は悩み続けていました

そこで私が提案した番号は 118デス

これは妻の西暦と誕生から算出します

例 1971年11月12日生まれであれば

1+9+7+1+1+1+1+2+=23 ここから23を2+3=5

という事で 5 という事らしいです

ですから妻のラッキーNO11と私のラッキーNO8を合わせて

118に決定しました

因みに世の中で一番多い車のNOは1122(いい夫婦)らしいです

皆さん自分のラッキーNOはなんでしょう

 にほんブログ村 サッカーブログ 少年サッカーへ
にほんブログ村ランキングに参加してます皆さんの1クリックが私の励みになりますよろしくお願いします

嫌な予感的中

昨夜のU-23の戦いは誰もが 後味の悪い試合内容でしたね。

これが本戦なら と思うと・・・・・

村松個人も大きな問題だが あのロスタイムの時間帯は

前線とDF陣が大きく間延びしていました

チームが中途半端な状態で 隙を突かれた教科書のような失点でした

サッカーというスポーツの怖さを見せつけられたシーンでした

あれほど攻撃的な状態で1得点しか出来ず

たった一度の不注意で同点とは 割が合わない試合でした

p>       にほんブログ村 サッカーブログ 少年サッカーへ
にほんブログ村ランキングに参加してます皆さんの1クリックが私の励みになりますよろしくお願いします

復活 のウッチーパパ

ブログ最終章を書いて すでに数ヶ月が経ちました

しかし、誰かアクセスしてクリックして頂いている方がいるのか

ランキングがいまだに100位以内にあります。

未練がましいかもしれませんが

もし、手前味噌な話しで 復活を期待してる方がいるなら

老体に鞭を打ちながら ボツボツ気が向いた時に更新します

あまり期待しないで下さい

では復活の一本締め 「よーバシッ」

p>       にほんブログ村 サッカーブログ 少年サッカーへ
にほんブログ村ランキングに参加してます皆さんの1クリックが私の励みになりますよろしくお願いします

« 2011年8月 | トップページ | 2012年12月 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ